
最近Leicaに手を出して、後悔することがある。もちろん誰かを恨む、妬むということではなくて、自分自身の計画性のなさが招いた結果でもある。
自己責任、自業自得という言葉で今僕は苦しんでいる。
生活費が徐々に減っていることを加味してもLeicaに手を出してなければ、経済的余裕は大きかった。今のカメラセットに出会う前にLeicaや色々なカメラを触ったきたけれど、これは僕の感想に過ぎない。間違いもある正しいことなんて少ない。趣味を楽しむ結果で生まれたものなので、僕以外に責任がない、間抜け記事だ。
Leicaに出会って良かったところ
Leicaと出会ったことについて割愛するとして、良かった点は「人」に出会えたことだ。
仕事で苦しみ、生活で苦しみ、手を差し伸べてくれたのもLeica繋がりの人たちで、心から兄貴と呼ばれる2人に出会った(相手がどう思っているかは知らないけど)。カメラ屋さん、カメラ屋さんの常連さん、カメラ屋の店員さん、インターネットを含めればかめてくのフォロワーさん、取引会社さん、お客さんたちと繋げてくれた。細いものから太いものまである。もちろん切れてしまった出会いもありますが、それでも長く繋がっているのは、Leicaのおかげではあります。
LeicaM3に関して言えば、保有歴が一番長い思い出深いカメラです。他のカメラは売り飛ばしたのにも関わらず、赤いカメラは残り続けています。かめてくのTwitterアイコンだけではなく、かめてくのロゴマークにも採用され、かめてくの歴史に刻まれたカメラなのです。
Leicaに出会ってダメだったところ
逆にLeicaのダメなところはブランド料が高いところです。総じていえば100万円のカメラが性能という面ではNikonやCanonに劣り、価格もNikonやCanonの方が安いという状況です。Leicaを持っていることはステータスですが、それは生活が出来なければ意味がありません。おまんまの食べることを優先しないといけません。生活できてこそのLeicaなのでライカを持つことで生活が不安定になるなら手放すことになるでしょう。
身の丈に合ったカメラというのは大事なところです。
まとめ:お財布と知識、運、人脈を大事に。
お金がかかるLeicaですが、良かったことが人との出会い。それが最終的に良かったなと思えるのは死ぬときなのだと僕は思います。人生最後に出会いに感謝出来るかどうか。後悔あれど感じるのは死ぬ瞬間かもしれません。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。