
写真を撮り続ける意味とは何か。かめてくの代表というのは写真の良さや楽しさを伝えること意味があって、何気にその土台となるのが「教養」部分だったりします。実は教養というのは、親、本人の所得に比例することがあって、写真、陶芸、絵画など多くの芸術文化というのは、教養への入り口なのです。
趣味を持つというのは、持つことで多くの人に出会い、人生とは何たるか学べるものなのです。酒を飲むことが趣味で家で飲んでいるとしても、職場でお酒の話をすると楽しかったりします。人間関係が良くなれば、そこに笑顔や感謝という教養の基礎となる部分に触れることが出来るのです。
写真を趣味に持つこともまた、教養の入り口で僕は撮り続けることで教養や人との出会いに感謝できた人なのです。だからこそ、他の趣味を否定するのではなくて僕は写真を通じて、多くの方に今よりももっと成長し、余裕がある人間になって頂きたいのです。
写真を撮り続ける意味とは何か、という本題なのですが、簡単に言ってしまえば記憶より記録。記憶のための記録として写真は存在すると僕は思います。記録媒体が色々ある中で一つの手法として、記憶を開く鍵として存在します。僕の場合、仕事の時もメモを取るのではなくて、写真を撮るようにしています。パソコンの中に入った仕事で使うシステム操作を写真で撮って、何がどこにあるかをド忘れしてもみれば分かるようにしています。メモ帳で書いたとしても文章で書く必要があります。
それよりも視覚的に残した方が、どこにどのボタンがあるのか、どういう操作をするのかが残しやすいです。動画あれば先輩に操作してもらう必要があって、リアルタイムで時間を取ることになって手間が増えます。私生活においても何かしなければいけないことがあればスマホで写真を撮る。美しいものがあったら、その場で撮って覚えおくことができるのです。
生活を便利できて、美しいものを残すことができるのは写真なので、続けています。動画でもいいんでしょうけど、声や見た目が嫌な人がいたり、何か問題があった場合全てを消すことになります。消せますが手間がありますよね。
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