
かめてくの神無月餅です。かめてくの代表でもあり、一応写真家という肩書きも持っている僕ですが、やっぱりギャラリーをやりたいなって思うことがある。ここでいうギャラリーというのはサイトではなくて、店舗を借りて展示する何かというところ。ずっと所在地を自宅に置いておくわけにもいかんわですけど、そうなったとしても現実的にGalleryを持つことは難しいと考えています。
- 写真1枚の価値
- 賃料がリスク
- 生活費を稼げない
- 需要がない
- 文化に対して価値を見出せない日本
ちょっと難しい話が続きの先に問題点を挙げると、これぐらいは思い浮かびます。
そもそも日本という国は海外と比べて、芸術文化に対する価値が低くく、国も反映してしまい、補助金が出づらい結果になってしまった。文化に対する国の評価が低いので補助金の審査が通らない。岡本太郎さんは、太陽の塔で世界的に有名になれたのも1970年万国博覧会があったから国内でも評価できたという点であり、他の芸術家も海外に一度赴いてから何かしらの仕事の依頼を受けてから国内で評価を受けるといった手順がほとんど。
評価が見出せない国で、文化がない国で芸術は育たないのである。しかし芸術が動くことで実は金の動きが発生することを頭が良い人は気づいているとは思うのですが、なかなか国民には浸透しない。この浸透しないのには国が影響しているものの、そもそもの日本経済が傾いて文化に対する投資が減ったこともある。行政が産業と認識しているところでは補助金を出すものの、これには芸術文化に疎い公務員が関与することで審査が進まないという結果になる。つまりお金が動かないというオチ。
民間で出来ないかといえば、ユーザー層である国民の所得が下がり、文化に対する消費をすることなんて考えている暇がないことにある。100円ショップが盛り上がったのも、品質が下がろうとも海外製品でも物価を下げて所得が低くても生活しなければいけないという事実がある。
写真1枚をわざわざ購入したところで、腹は膨れないし、所得が増えたりすることはない。けれど写真1枚で精神的改善や文化を支援、新しい感性や知性を手に入れることは僕個人の意見としては可能であると思う。
目に見えているものだけが全てではないというのに気づく人間がどれほどまでいるか。選挙だって見えているようで見えていない。未来だって見れているようで見えていない。精神だって見えているようで見えていないものだ。
見えていないものを捉える力を養うためにも、芸術文化に触れていくべき。でも確かに金がないのに写真1枚1000円を買って見えていないものを見ろと言われても難しいというのは理解できます。
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